マントラを学びはじめてから「神さま」という言葉をよく耳にするようになった。
今となってはいつもそばにあるその言葉は、当時の私には全然ピンとこなかった。
神社は静かですーっとするから行くのであって、手を合わせることにはあまり意味を見出せなくて、「お願い事」をしてみたりしつつ、真面目なフリをして本当はちょっと退屈だとすら思ってしまっていて。
今の私がその時の私に「神さま」について説明をするとしたらなんて言うだろうなってふと思った。
浮かんできたのは、
「自分の意思に関わらず在るもののこと」という感じだった。
例えば、私たちは息をコントロールできるけれども、意識的にコントロールしているから生きているんじゃない。
意識をしなくても勝手に呼吸は繰り返されている。
そういう感じのこと。
生き物たちの形、お天気、星回り、世界の仕組みを作ったのは何者だろう?
この世界の始まり、最初の点をスタートさせたのは何者かな。
その何者かと、その存在が生み出した私たちの意思に関わらずに起こったり、ずっと巡り続けたりしているもののこと。
そういう、もっと他の言い方をすれば「自然の働き」みたいなこと。
それを、私は今「神さま」として感じているように思う。
マントラは「神さまの音だから人間が変えてはいけない」と言われている。
初めて聞いた時、私はこれを厳しさとして捉えていたけれど、今はとてもあたたかいメッセージとして受け取っている。
私たちそれぞれが与えてもらっているこの体や声は、コントロールして生み出したものではなくて、自然の働きが与えてくれたもの。
それは、神さまとおんなじこと。
だから、誰かの声を真似したり、他の何かに変えようとせずに、あなただけに与えられているそのまんまの声を響かせたらいいんだよ、ということじゃないかって思っている。
それぞれに宿っている神さまを大切にすること。
私たちはどうも、それを変えたがってしまう。
もっと強く、もっといい感じに、もっと綺麗に。
声って結構無意識に変えている。
だけど、自分の声や人の声によく耳を澄ますようになって感じたのは、
そのままの声がほんとに飛びっきり美しいということ。
よれよれだってなんだって関係なくなる。
それに気づいてからは、自分や周りの人たちのいろんな音・表現を受け入れられるようになったなと思う。
いろんな音の中に光を見出せるようになっていく自分がいる。
それってとても幸せなこと。
それってとても幸せなこと。
与えられているものをまっすぐ見て聴いて、気づくこと、思い出すこと。
評価や思い込みに惑わされて、一番近くにある宝物を忘れてしまわないこと。
私はそのために、マントラを唱えているし、これからも音に触れ続けると思う。