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2018/06/14

マントラプラクティス




マントラやスートラのチャンティング。

まっすぐ聴くことを
今によくとどまる力を
わたしらしく歩む感覚を

思い出させてくれる、育んでくれる。

本当に大切なものは減らないし失わないこと、これからもうひとつ信じて歩もうと、ふと思った今日のプラクティスでした。

終わってケータイを見たら、メッセージがいくつか。

誕生日にマントラ関連の予定が入って、どきどきしています。

2017/11/03

音のお守り



明日はマントラ瞑想会。

マントラは、わたしたちが真ん中の声に寄り添うことを、美しい音と深いあたたかさで見守ってくれる。

2017/08/22

17.8.20 マントラ瞑想会「saha nāvavatu」 〜ともに生きる中での「わたし」〜




今日は滋賀県堅田にあるAKULUヨガスタジオで、マントラのワークショップでした。





「共に」の手前の「わたし」について、みんなでよく感じてみたこの会。

不思議だけれど、今回はそこにいたみんなから同じ想いが浮かび上がってきました。

それは「今、守られている」ということ。

特別な安心感とあたたかさを感じた時間でした。





お祈りをする前のわたしも守られている。

お祈りをする前のわたしも、生まれてから今日までの時を、いろいろな存在に支えられながらちゃんと歩いてくることができた。

「わたし」というのは誰かの祈りの表れだと、みんなで話したことを振り返ってふと思いました。

このマントラを唱えるとき、

共に守られますように、これから共に学び合えますようにと願うその始まりに、また歩む中で、このことを感じられたら、それはすごい力になる。





今回は直前でキャンセルが相次いでどうなるかしらとそわそわしましたが、あぁこのメンバーでこういう話をする日だったんだなと感じて、最後は本当に良かったなぁとしみじみ。

素敵な機会をくれたゆかこちゃん、初めてにも関わらず心を開いて下さった生徒さんたちに、本当に感謝します。

ありがとうございました*







2017/08/15

マントラのワークショップ、今週末です*























今週末は、原友佳子先生主宰のAKULUヨガスタジオでマントラと瞑想の会*

堅田駅からすぐで、京都からもとっても行きやすい場所です。

今回のマントラは「saha nāvavatu」

このマントラは、京都では渡部直子先生や私のワークショップで触れている方もいらっしゃると思いますが、繰り返しの学びもまた新しい気付きがあったりして、マントラと心がより近いものになっていいなぁと感じています。



そういう風にして唱えるマントラは、本当にお守りになってくれる。


初めての方も、もう一度!という方も、ぜひいらして下さい◯

*来月は9月10日(日)16:30〜京都で開催です*






〜ワークショップ詳細〜



『マントラと瞑想ワークショップ』

●日時:8/20(日)10:00〜13:00
●料金:4,000円
●場所:AKULUヨガスタジオ
●内容:〜ともに生きる中での「わたし」〜
「saha nāvavatu」

・マントラってなに?
・うたって音と仲良くなる
・楽しくマントラの発音練習
・マントラに込められたお祈りを通して、自分を見つめよう
・音とひとつになる
・マントラを聴きながらおやすみ


今回紹介するのは、学びのはじめに先生と生徒との間で唱えられるマントラです。

先生と生徒という関係に止まらず、これから大切な人や大切なことと向き合おうとしている人たちとも一緒に見つめられたらいいなと思います。

私たちはいつだって誰かと関わりを持ちながら生きている。

向き合う対象を大切に想うほど、ときに「わたし」という存在が小さく感じられてしまったり、大きく見せたくなったりして。

だけど、大切なことはなんだろう?

このマントラが、これから歩んでいくときに必要なヒントを与えてくれ、それぞれの心をあたたかく照らすお守りになったら嬉しいです。



●ご予約・お問い合わせ








2017/08/07

日々の中に




月に礼拝するマントラ。

植物に力を与える月を讃えている。

このあいだこまよ先生は、キッチンで野菜に触れながら唱えていた。

こんなふうにマントラは、何気なく通り過ぎてしまいそうなことの前で立ち止まらせてくれる、感じる時間を与えてくれる。





朝目覚めて 手を見ながら

庭で種まきをしながら

太陽の方を向きながら

始まりのときに

終わりのときに

自分のために

誰かのために

空間のために

悲しいときに

よく分からないときに

有り難いと感じるときに





日々の中に。

特別に感じるマントラという音は、身を清らかにして丁寧に座り唱えるだけじゃなく、もっともっと日々の中にあったらいい。

心がそこにちゃんと寄り添っていたらいい。

そんなことを、先生たちの姿を見たり、学びを重ねる中で思う。












2017/08/06

マントラ、神さまの音。





マントラを学びはじめてから「神さま」という言葉をよく耳にするようになった。

今となってはいつもそばにあるその言葉は、当時の私には全然ピンとこなかった。

神社は静かですーっとするから行くのであって、手を合わせることにはあまり意味を見出せなくて、「お願い事」をしてみたりしつつ、真面目なフリをして本当はちょっと退屈だとすら思ってしまっていて。

今の私がその時の私に「神さま」について説明をするとしたらなんて言うだろうなってふと思った。




浮かんできたのは、

「自分の意思に関わらず在るもののこと」という感じだった。

例えば、私たちは息をコントロールできるけれども、意識的にコントロールしているから生きているんじゃない。

意識をしなくても勝手に呼吸は繰り返されている。

そういう感じのこと。

生き物たちの形、お天気、星回り、世界の仕組みを作ったのは何者だろう?

この世界の始まり、最初の点をスタートさせたのは何者かな。

その何者かと、その存在が生み出した私たちの意思に関わらずに起こったり、ずっと巡り続けたりしているもののこと。

そういう、もっと他の言い方をすれば「自然の働き」みたいなこと。

それを、私は今「神さま」として感じているように思う。





マントラは「神さまの音だから人間が変えてはいけない」と言われている。

初めて聞いた時、私はこれを厳しさとして捉えていたけれど、今はとてもあたたかいメッセージとして受け取っている。

私たちそれぞれが与えてもらっているこの体や声は、コントロールして生み出したものではなくて、自然の働きが与えてくれたもの。

それは、神さまとおんなじこと。

だから、誰かの声を真似したり、他の何かに変えようとせずに、あなただけに与えられているそのまんまの声を響かせたらいいんだよ、ということじゃないかって思っている。

それぞれに宿っている神さまを大切にすること。





私たちはどうも、それを変えたがってしまう。

もっと強く、もっといい感じに、もっと綺麗に。

声って結構無意識に変えている。

だけど、自分の声や人の声によく耳を澄ますようになって感じたのは、

そのままの声がほんとに飛びっきり美しいということ。

よれよれだってなんだって関係なくなる。

それに気づいてからは、自分や周りの人たちのいろんな音・表現を受け入れられるようになったなと思う。

いろんな音の中に光を見出せるようになっていく自分がいる。

それってとても幸せなこと。





与えられているものをまっすぐ見て聴いて、気づくこと、思い出すこと。

評価や思い込みに惑わされて、一番近くにある宝物を忘れてしまわないこと。

私はそのために、マントラを唱えているし、これからも音に触れ続けると思う。





2017/07/23

17.7.9 夜のマントラと瞑想 〜月のマントラ〜

先週末、リニューアルしたマントラの会の第一回目を開催しました。
いつもの家族みたいな人たちと、きっとまた再会できるかなと思っていた人たちと、小さな輪を作って。

例えば真ん中で「ほら」ってアルバムを開いたときに、ちょっと身を乗り出せばみんながそれを見ることができるくらいの、わくわく愛おしい距離感と空気感。
今回はそんな輪だったなぁと、振り返ると嬉しい気持ちになる。



 

みんなで話して、歌って、唱えて、感じること。
それは、ひとつの事柄やひとりの人を、
5人の、5つの視点で見つめることができるということ。

例えば自分で思い込んでいる「欠点」みたいなものは、
他の人の目にはとても美しい景色に見えていたりする。
こういうことがすごく愛おしいと思うし、だからこうして輪になって過ごすことをいくらでも重ねていきたいと思う。

参加してくれたみんな、本当にありがとう♡







2017.7.13~18 noah的マントラトレーニングプログラム 1学期







2年間のマントラトレーニングが始まりました。

ノアに行くようになって3年。
家族として、いつも「おかえり」と言って迎えてくれる場所。
ごはん、掃除、お風呂、遊び、睡眠、毎日そこにある事柄への有り難さや愛おしさが、ノアでの時間を重ねるごとに増していった。
それってなんて幸せなことだろうと思う。




この大きなおうちでの学びは、そうやっていつでも暮らしとともにある。
レクチャーの時間だけをともにするという形では見えてきにくい、とってもとっても人間らしい部分を、ここではみんなお互いにたくさん目の当たりにして、そのたび一人ひとりが体や頭や心でいっぱい向き合う。
そこにはいつも、励ましてくれる、静かに寄り添ってくれる、見守ってくれる、叱ってくれる、そんな先生と仲間がいてくれる。




いろんな人がいて、ひとつの答えにまとまらないことなんて当たり前にある。
そうやって違いを知ることと、そのときに自分から何が湧いて何を選択するのかを感じて歩んでみることが光になると思う。
違いがよく分かるようになるほどに、私たちはひとつの何かを奪い合うことを離れて、助け合い方がわかって、本当に まる になれるのだと思う。

だから、そこここで鳴っている音を半分か何割かだけじゃなくて、できるだけ全部そのまままっすぐに聴けるようになりたい。
いろんな出来事や、その中でのさまざまな違いを体験することも怖がらずに受け入れて、2年間歩みたいと思います。








あたたかな伝統をここまで繋いでくださった代々の先生方、noahらしい形で伝えてくれるなお先生こまよ先生、学べることに感謝します。
そして今回一緒に学ぶ仲間、トレーニングの場にはいないけれど想ってくれているみんなにも、本当にありがとう*