ちょうど一年前の今日、クリシュナマチャリア先生のご子息であるデシカチャー先生が亡くなられた。
私はデシカチャー先生にはお会いしたことがないけれど、とても近くに感じています。
それは、私の2人の先生たちの姿や言葉の中にいつもその存在があるからです。
彼の言葉やエピソードを聞くたびに、あたたかい気持ちになる。
先生たちはクリシュナマチャリアヨーガをインドに行って学びながらも、その他で重ねてきた学びや体験してきたことも同じように大切にしている。
それらを織り交ぜながらこの伝統を、尊敬と感謝と愛をもって伝えてくれている。
彼女たちから学ぶ人たちも、決してクリシュナマチャリアヨーガだけを学んでいる人たちばかりじゃない。
学び方、練習の仕方、伝え方、暮らし方、ぜんぶ。
いつもそれぞれの在り方や選択を尊重してくれる、見守ってくれる。
いろいろだけれどばらばらにならずに光を見出していけるのは、揺るがない教えと、この学びでいつも出てくる言葉「愛」や「信頼」が真ん中にあるからだと思う。
こんなふうに、ルールはありながらも柔軟に教えが受け継がれて、さまざまな道を歩む人たちがその恩恵を受けていること。
そこにはデシカチャー先生の在り方がずっと生き続けているように、私は感じます。