2018/02/13

1.31〜2.1 朝と夜のマントラ∞キールタン & サットサンガ in 岡山

___ クラスと、そのあとに続いているもの ___



初めて開催した岡山でのクラス。
テーマになっていた " 安らぎ " と " 豊かさ " がどの時間にも感じられた、まーるくあたたかな時間になった。

キールタンでただシンプルに祈りの音を響かせたり、伝統的なマントラの音を練習する中で浮かび上がる自分を見つめたり。
型と自由を融合させたmahuaのクラス。
そんな時間の中で、ひとりの生徒さんがこんな感覚をシェアしてくれた。

『お祈りなのに自分を知ることになるんだ』

音って、その人そのものだ。
そして、「かみさま」や「ひとつである」というような感覚は、このわたしの存在を通して見えるもの、感じるもの。

すこし前、なお先生からもらったメッセージがある。

"「あなた」はかけがえのない存在。
わたしの誇り。 希望。 光。
その存在を曇らせないで。"


あなた が 「あなた」 になっているのを見て、先生たちは、みんなのまんなかにある"同じもの"をずっと見てくれているのだと改めて感じて、涙が出た。

まんなかの「わたし」を自らの手で見えなくしてしまわないこと。
与えられたものを恐れずに使う、ぎゅっと止めることなくそのままに流してあげること。
それを使うのは、ただ大切なものを大切にするため。
そんなことを心に決めて、わたしは岡山に行った。

まんなかの「わたし」> わたし
ではない。
まんなかにある神聖なものと、形として現れているわたしたちは上も下もなく、いつもふたつでひとつ。
今回みんなで触れた、nārāyaṇalakṣmīのように。
だからわたしにまっすぐ大切に触れるとき、そこにかみさまを見ることはきっと自然なことなのだ。
かみさまや祈りに丁寧に向き合うとき、そこにわたしが浮かび上がることも、とても自然なことなのだ。


後日、あの時の言葉を改めて聴かせてほしいとメッセージを送ったら、こんな返事がきた。

『 神様に対して祈るのに自分と対話するような、自分を知る、自分に話しかけるような、そんな気がしたんです。
ふとあの時、金子みすずさんの詩を言いながら思い出していました。
”蜂とかみさま”
機会があれば、見てみてください。
そうか、神様は私達の中にいるんだ~ と改めて気付きました。
自分を粗末にしちゃダメだなぁ。
結構、粗末にしてるなー。 』

深く頷きながら読んだ。
調べてみたら、『蜂とかみさま』はこんな詩だった。

____________________

蜂は お花の中に
お花は お庭の中に
お庭は 土塀の中に
土塀は 町の中に
町は 日本の中に
日本は 世界の中に
世界は 神様の中に
さうして さうして
神様は小ちやな 蜂の中に。

____________________

大切なことをとってもシンプルに表してくれている、素敵な詩だった。

世界を包むかみさまと、小さな存在の中に宿るかみさま。
つまりそれはどんな境目もこえて、すべての中にちょうど満ちている。
(こまよ先生からpūra mantraを学んだ時のことを思い出して、またひとつわたしの中に落ちていった。)



















3つのクラスを終えて、それから日が経っても、みんなそれぞれにいろいろと感じたことをメッセージで伝えてくれたり、わたしの中にもあの時の音がまだ鳴っている。
一度響かせた音はどんな音も、こうして場所や人に残っていくのだと思う。
丁寧に音を重ねていきたいと改めて思った。

それぞれのこれまで歩んできた道、そして今、これからのこと。
心を開いてシェアしてくれて、紡がれていく音にまっすぐ向き合ってくれて、みんな本当にありがとう。

  
   
___『 kutir 』という場所のこと ___

今回、mahuaのクラスを開催させてもらったスペースは、ゆきちゃんのおうちだった。
そこはわたしが大切な学びを重ねてきた、先生たちのリトリートスペース「Noah's Ark 」とどこか似ていて、すごく驚いた。
(noahは、家族としての暮らしが真ん中にあって、レクチャーだけじゃない全ての時間の中に学びがある。そういう形だったからこそ、わたしはすごく救われたんだった。)


一つひとつのものが大切に選ばれて、丁寧に使われていて、それぞれがちょうどいい場所にくつろいでいる、そんな空間。
そこにいるだけで、ものを 人を 自分を いつもより大事にしたくなる。
大切にしているだろうか?と、自身に問いたくなる。
クラスの合間にも、学びがちりばめられていた。
むしろその合間で耳を澄ましていることが大切なのだと、教えてくれているようだった。

この場所のエネルギーに、mahuaの時間はかなり支えられたと思う。
『 kutir 』は、「開かれた小さな部屋」という意味なのだそう。
ゆきちゃんのそんな祈りが、みんなの心に反映されたような気がした。
 




わたしはこの学びを通して、
この存在を祝福し、信じて、まっすぐ味わい表現をして生きる術を教わっている。
そこから「暮らし」というのは絶対に外せないもの。
こういう場所を与えてもらったことで、そのことを改めて感じた。

『これまでの経験、学びの中で感じたこと、見出してきたこと、与えられたもの、それらを忘れないように、大切に歩みなさい。』
この場所を通して、そんなメッセージをいただいたような気がした。
新たな一歩のときに大切なことを再認識できて、とても有り難かった。


















心の目を開けば、幸せは日常のそこここに。

 
___ mahuaのこと ___


∞ mahua ∞

ma
水 お母さん はかり
hu
風の音 ふー! ふぅ
a
源 神さま そのまんまのわたし
あらゆる存在を 受け入れる
お母さん
生まれた場所 還る場所 安心感
はかり
どんなふうに この世界を見てる?
呼吸 潔く進み 柔らかく手放す

安心して わたしに寄り添って
ときにしっかりと歩き
ときにおやすみをして
バランス 自分の真ん中へ
そこには神さまがいる
その場所へ 還ろう
中心へ 向かえば向かうほど
広がっていく



ふたりの「活動名」として考えたときに、ふわっと浮かんですぐに決まったこの名前。

実際にmahuaとしてのクラスを終えて、あぁ と思ったことがある。
この名前は、わたしとさなえちゃん2人の名前ではないということ。
こうしてみんなの存在からできた輪、そこから生み出される空気感や音、それから受け取るものや浮かび上がるもの。
それらのことが「mahua」なんだと思ったら、すごく納得がいった。

この音を口にするとき、いろいろな音と顔と風景が浮かぶ。
そんなお守りの音とともに、これからの時間を重ねていけることがとても嬉しい。



___ 紗奈衣ちゃんのこと ___




わたしは紗奈衣ちゃんに本当に感謝している。
彼女のおかげでこの時間を紡ぐことができたし、気付いていなかったわたしにも出逢えた。
彼女もまたわたしにそんなふうに言ってくれる。
それぞれに必要な経験と準備ができたから出逢った。
もっとはやく出逢っていたとしても、きっとこうはならなかった。
そんな気がしている。

私たちはそっくりだ。
びっくりするほどそっくりだ。
だけど違うものが確かにそこにある。
だから私たちは支え合えた。






似ているからこそ、よく彼女の声にも自分の声にもより耳を澄ましていたい。
どんなに分かりたい、分かっているように思える相手のことも、本当にはやっぱりすべては分からないのだから。
これは最近になってはっきりと気づいた、当たり前だけれどうっかりしてしまいがちなこと。

耳を澄ますこと。
そのとっても大事なことを、この近しい存在とのあいだで、わたし自身がやっていくこと。
それがこれからのしっかりとした土台になっていくと思っている。

ふたりで決めてやっているようで、見えないなにかにころころと転がされているようにも感じていて、毎回話し合うたびに不思議な気持ちになったり驚いたりしているけれど、最後にはいつも、とにかく今を丁寧に感じて重ねていこうと言って終わる。
先のことに期待せず、今に喜びを見出すことを忘れずにいたい。





___ さいごに ___

















参加してくれたみんな、ゆきちゃんと旦那さんとヤギのシーちゃん、紗奈衣ちゃんとぎんちゃんと猫のチャイ子。
逢った瞬間からしっくりぴったり。
無意識のところでみんなが示し合わせて集まったようでした。
改めて、学びと喜びとやさしさに溢れた時間を本当にほんとうにありがとう。
みんなの存在と、そこから紡がれた音、思いやり、お花、ごはん、お菓子やお茶、メッセージ。
ぜんぶが宝物です。

また一緒に過ごせること、学びを重ねられること、とっても楽しみにしています。
これからもよろしくお願いします*


彩歌





∞ mahua ∞

 耳を澄ますこと
音にすること
言葉にすること

それぞれが育んできたものに宿る光を
音を通して みんなで互いに照らし合うことで
大切なものが明らかになっていく

安心して「わたし」と繋がる柔らかさが生まれる
自分の光を信じる強さが生まれる

そんな輪が持つ光の音に
私たちは ” mahua ” という名前をつけました

伝統と自由なカタチを織り交ぜながら
大切に「わたし」の音に寄り添うmahuaの時間

必要とする方と出逢えますように

mahua
彩歌 紗奈衣

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