2018/05/29

大事にしたいものを大事にする




「そんなに張り切っちゃって」と茶化されて、恥ずかしく悲しい気持ちになったことがあります。
今の私だったら、「でへへ」って返すと思う。
頑張りたいことを頑張っていただけなのだから。
そして、全力を注ぎたいと思えるその相手や対象のことが大好きだし、そういうときに自分の中から湧いてくる熱も大切だと思えるから。
あと、要領は良くないから、滑稽に見えて茶化したくなるのも理解ができる(!笑)。
だから、「でへへ」。



自分が好んで選んでいるものやそれと向き合う姿が、誰かの目にはとてもおかしなことのように映っているかもしれない。
だけどそんなことに関係なく、もっとまっすぐ触れたいものに触れていいし、感覚に従って進んでいいし、やりたくないことをやりたくないと言っていいのだと思う。
もちろん人の意見を聞く耳は持っていたいし、やり方を工夫したりする柔軟性も持っていたいけれど、変えなくていいところまで変わってしまわないように。



自分の真ん中の想いと頑張りと喜びをちゃんと見てあげたい。
それと、同じように大事にしたいものがあって頑張っている人や、ちょっと手前でもぞもぞしている人を応援していたい。
旗でも作ろうかな。

2018/05/27

5/27「YOGAってなんだろう?」シリーズクラス@Flow arts -NARA-

今日は「YOGAってなんだろう?」シリーズクラス第1回目を担当させて頂きました*


実践することは大事だし、やることも知識も増やせば前に進んでいるように感じるかもしれないけれど、そこに実感があるかがやっぱりとても大切だなと思う。
「よく感じてみる」「よく耳を澄ます」なんて、人によっては、なんだかすっ飛ばしたくなるくらいじれったいことかもしれない。
だけどその実感が、体や心を必要な方向に向けさせてくれる。
手放していいものを手放させてくれる。
大切なものを大切にできるようになっていく。


いま頑張れなくていい。
ざわざわしていたって、悩んでいたっていい。
そんな自分を見守ってあげてほしい。
そんな自分の声に耳を傾けてあげてほしい。
私も改めて、自分の一つひとつのことに焦らず寄り添っていきたい。
そんなことを、特に感じた時間でした。


色味の違う優しさを持った方々が集まって下さったこのクラス。
今日みんなで作った学びの時間が、それぞれに必要な形で、必要なタイミングで、助けになったらいいなと思います。


本当にありがとうございました*🌙

2018/05/26

「ヨーガの教えをやさしく学ぼう」第2回目@Flow arts -NARA-





今日はFlow arts -NARA-での2回目のスートラクラスでした。



「大切に生きたい」という気持ちと、そのヒントがあるのではないかという予感。
前回も今回も、そういうものを感じている方が集まって下さり、すごくいい学びの時間になっています。
それぞれの体験からの言葉、感じ方、湧いてくる疑問、その一つひとつが本当に愛おしくっておもしろい。
この時間と、その中にある一人ひとり、一つひとつが、かけがえのないものだなぁと改めて思いました。



違う部分を持った、さまざまな波を経験している私たちがこうして寄り合うから、同じ部分、移ろわないものを見出せます。
本当にありがとう*



さて、明日はAKULUで「YOGAってなんだろう?」シリーズクラスがスタートです◯
そちらもたのしみ!

確かなものと不確かなもの





昨日、先生たちのリトリートから京都に戻ってきました。
今から記すことは走り書きという感じで、どばっと出るままに書くので、きっと分かりやすくはないし、あとからなにか移ろうかもしれないけれど、残しておきます。




ほとんどのことが不確かだと思う。
信じたいことも、信じていることも。
だからそのほとんどの不確かなものを不確かだとちゃんと認識をするほど、揺るぎないものが際立ってくるなぁと感じる。



写真は、ふたりの先生に見てもらっている嬉し楽しそうなわたし、の図。
悩むとき、気づくとき、悲しんでいるとき、喜びのとき、どんなときも。
先生たちは出逢ってから3年ちょっと(まだ3年なんだなぁ)、ずっと照らし続けてくれている存在です。
「これからも、どんなことがあっても向き合う」
「ずっと感謝の気持ちを忘れない」
なんて言葉はそれこそ本当にそうなるか分からないことかもしれないけれど、それを承知の上であえて、いまそう思っている・決めているという事実を尊重してその言葉を選びたい。
わたしが、起こることや出逢う人たちのさまざまな違いの中にひとつのものを見出せるように。
(「決意」や「誓い」って、かたいイメージを持たれやすいけれど、愛から自然発生する、むしろかたかったところにすーっと戻ってきた風と光の通り道のようなものだと、今思った。)



わたしたちは確かなものをとても不確かで終わりあるもので包み、生きている。
そんなわたしたちをまた、確かなものが包んでくれている。
確かなものと確かなものの合間にあるこのたくさんの不確かなものに触れ続けることを止めないでいたいと思う。



確かなものは「その向こう側にあって、いつか触れられるもの」ではなくて、不確かなことの間に間に、中に外にいつでもある。
不確かなものに触れているとき、確かなものが同時にそこにある。
出来るだけ、それに気付ける状態でいたい。
そのために必要なものを養いたいし、戻るところへ戻りたいと思う。

2018/05/07

「YOGAってなんだろう?」全4回シリーズクラス



AKULUでの「YOGAってなんだろう?」全4回シリーズクラスのイベントページが出来ました。
私は第1回目の「ヨーガスートラ」を担当します◯
(小冊子は、このクラスのこともあって作ったものでした!)


ヨーガスートラ・アーサナ・呼吸法・瞑想、それぞれのパートからいろんなカケラを受け取れる楽しい時間になりそう。
わくわくしながらそのカケラを手に取ってたっぷり見つめてもらえたらいいな。


例えばみんなで貝殻拾いをすると、いろんな人が出てきます。

「拾う」という行為に熱中する人
この貝殻の中身に想いを馳せる人
模様の美しさから世界の神秘にドキドキする人
生活に生かせるなにかに使おうとする人
暮らしを彩るなにかに使おうとする人
お守りとして持つ人
ただ眺めて味わう人
綺麗に残してみんなが見られるようにしようとする人

同じように、ヨーガのカケラたちに触れたときにもいろんな人が出てきます。
私としては、そこがすごく大事にしたいところです。


「ヨーガってなんだろう?」
正直、この問いの答えを情報として知っていることは重要ではないです。
だけどその問いが湧くことは、とても素敵なことだと思います。
その問いをきっかけに学んでみると、その過程で自分の向き合い方やいろいろなものが表れてくる。
それに出逢うことが、とても大切なんじゃないかと感じています。
触れてどんなことを感じるか、どんなことに興味が湧くのか、ぜひ見つめてみてほしい。
これを感じるために情報を得ることや型を知ることがとても助けになります。


いつか先生は、こんなふうに仰いました。
「ヨーガを学ぶっていうのは、自分を知るということ」
「ヨーガスートラがおもしろいって、自分がおもしろいってこと」
最近ますますそうだなぁとじんわり。


だから、
「わたしってなんだろう?」
「自分のことを知りたい」
そんな方ともご一緒できたら嬉しいです。


楽しみにお待ちしています*





◯ 詳細はこちらをご覧ください ◯

ヨーガの読み物



小さな冊子
「YOGAってなんだろう?」
AKULUのゆかこちゃんが頼んでくれたおかげで形にできました。

「ヨーガを始めて間もない」
「クラスには通っているけれど、アーサナ以外の部分はなんとなくしか知らない」

そんな人たちが、もうちょっとヨーガのことを知ることができる。
そのきっかけを作らせてもらえたことが嬉しいし有り難いです。
(ゆるい絵たちが活躍しています、、、!)